発注者能力

自分ではできないこと、を他人に頼むこと。その実施に伴う対価を支払うこと。仕事について。

 

自分でできるけど、他人にお願いしたいこと。同上。

 

お願いしたり、頼み事をするのであれば、その他人を選ぶのも自分の責任。

 

仕事が始まった以上、当事者のみでやりとりをすべきで、多少の周囲のアドバイスを受けながらも、当事者に向き合うのが道理だろう。

 

恋愛や人付き合いも同じで、何か問題があったときに当人同士の対話でなく、外的要因で解決することは、本当の解決とは言わないだろうし、信頼関係などその延長にはなかろう。

 

信頼してます。

という言葉ほど信じられない。

何かあった時、それが明らかになる。お金が絡むとまさに。

 

信頼とは、何かあった時でも大丈夫、決して明るい結論にならなくとも、腑に落ちる結果へ導ける関係性の構築である。少なくともその過程を正しいように進めることができる。

 

自分と他人、当事者以外、第3者を取り込んだ瞬間に物事の構造が複雑になる。ように見える。仕事を頼まれているこちらからしたらよくわかる。見えるだけ。そうあなたが空回りしている。

 

自分の思ったことすら他人に伝わらずに思い通りにできない現実に対して、自分の思うことすらしないことに他人は気がつくのが普通です、なんてことをよく言える。いまあなたがアドバイスを受けているその人の発言、我々でも同じ立場ならできるものです。そこでしか起き得ない特異点があるにも関わらず。抽象的に的を得ているように見える発言も、ただ具体性が低いだけなのに、合理的なように聴こえてしまう。

 

施主と設計施工という立場において、どちらにも能力が必要ということは、自分の仕事を受けるかどうか、の判断に繋がるので見極めていきたいところである。人をやる気にさせる施主と、やりたくないな、なんでこんなことに付き合わないといけないのだ、と思わせる施主。お金払ってるからやれよ、はあまり健康的ではない。仕事とは本来お金と労働の等価交換ではない。できないから頼む、この人にお願いしたいから頼む、その気持ちが受注者に伝わないと、受注者は決して、期待以上に応えてなどくれないだろう。

 

同じく施工に対しても、やってやろう!と思わせる設計でありたいところ。