残すはあと一つの引き渡しとなった。
内装工事や既存空間の中で育んだ意志は、インテリア分野における微視的な偏屈さだった。
生み出してしまう者として、私的な空間に携わる際、身勝手な意志は消え去り、施主心理の表現を代弁する人間にはなったかと思う。
モノ、自体の質の向上もおこなってきた。
ただ、常に具体性に囚われ、抽象性を上げる試みをできないでいた。それが建築的でない全体の統合性の欠如に繋がっているのかもしれない。
そのように指摘してくれる友達がいること。
有難い。
6月までにそのような偏った人間である自覚を持って、できるだけ削ぎ落としていきたい。