house / shop G 内覧会 私見

福岡市姪浜駅から歩くこと10分程度で目的の場所に到着する。

元々宿場町という特性を持った姪浜は天神や博多、空港へも地下鉄で移動可能な居住区である。瀟洒なカフェやマンションが見受けられ、人口増加傾向や街の変化に呼応する建築が求められるような敷地であった。

地域・街に開く心構えの店舗付き住宅という要望に対し、道路境界線から後退した位置に切妻屋根を持った簡素なファサードの建物が立ち現れた。2022年4月に招待いただきこの幸せな建物を見る機会に恵まれたので下記に感想を述べようと思う。設計は京都に事務所を構える木村松本建築設計事務所であり、ご担当は富田さん。同世代でご活躍の方である。

 

玄関扉は大きすぎるのか、それとも壁面でありファサードであるのか。はたまた小さすぎるのか、右側の縦長部品はポストなのか。ファサードは2種の外壁材によって二等分割されており、注視すると外壁材の平面芯位置が異なることに気がつく。戸厚分の見込み分の影、地面に埋め込まれたレールと不思議な場所に取り付いた手掛け、出隅のアングル、上部レールボックスにより右側の壁面はまさに「大きすぎる扉」であることが理解できる。平面図を見ると中央軸を境界とし、左には細かい壁で仕切られた個室群、右側には建具で仕切られただけの水平・鉛直方向共にひとつながりの空間があることが見えるが、これらは風圧耐力の与件に対し、木製真壁耐力壁によって各室用途を持った個室群と、鋼製ブレースによって実現した奥行きのある敷地で最大限気積を確保するための吹き抜け空間が在来工法により並置されていることがその説明でわかる。左側の壁面と右側の扉は鋼板目地間隔により明確に差別化され、内部空間の二重性を明快に反映し、ダイナミックに都市に接続させているのだろう。(実際扉が開くと、内部の吹き抜けに圧倒され視線が上へと誘発される)部分的には過剰な大きさだが、外部スケール、都市スケールにおいては適当とも言える。小さい扉は右側鋼板の目地に沿って配置されるが、大きい扉を開けるための取手と均衡を保ちながら、大きな扉にあくまで優位性を譲りながらその位置を確定されており、建物中央軸から丁寧に身を引いて存在している。全体としてはシンメトリーな図形ながら、小さい扉や手掛けの要素を含めるとアシンメトリーとも表現できる。

 

 

また大きな扉を吊り下げ可動させる機構を持ち、外部環境から守る役割を持った既製品ボックスはその太い見付から、楣を想起させ、この存在は壁面の二重性を強調するような役割を果たしている。さらには鋼板の縦縞に誘われた視線の動きを一瞬遮ったと感じた時、通常より突き出し軽く載せたような意匠をした屋根に魅せられるのである。この切妻屋根の見付の薄さは後々触れることとするが、総じてこのファサードは実の透明性により内部を反映せず、不透明であるにも関わらず、その伝統的な建築部位の形態の扱い(開口部上を補強する楣や、雨を流すための切妻屋根)で内部と呼応させているのであろう。簡素でありながら複合的でもある、そんな多様性に溢れた建築物を目の前にして、さてどんな暮らしが見えてくるだろうか。

 

細長い敷地に建つこの住宅の内部空間に入ると圧倒的な吹き抜け空間が待ち受けている。建物の中に入った際の第一印象は「天井が高く、開放感がある」と多くの人が感じるであろう吹き抜けである。基本設計では、諸条件を解消すべく在来工法で建てる中で、シハチモデュールの採用と空間構成の骨組みを確定させたという。あくまで建物は都市スケールを包含し、未来への可変性を受容する計画となっている。

 

富田さんによると都市を基点として始まった建物において、施主を始めとする人々が暮らしていくための拠り所を人間の身体とし、各所の寸法や素材、組み立て方を確定していったという。ただあくまでボイドを優位とする明確なヒエラルキーを維持すべく、構造に必要な最小限寸法の梁背見付が視点場から重複して上部への空間認識の障害とならないよう梁自身の高さが決められており3m高さとなっている。視覚的な決断(身体性)は都市性の獲得も果たした後で、建具の納め方にも連結していく。

柱の内法物であるはずの鴨居敷居は梁の内法に納められる。鴨居は梁背を増やさないよう背の裏側(表を道路側とした場合)に取り付けられ、梁の下端に内外樋端・畦の下面を揃えた木製鴨居を基準とし建具自身の高さを決め、建具の製作効率を上げるためアングル鴨居はその上部ガイドが梁背から少しはみ出す形で取り付けられる。これは真壁構造とした建築に相似形の四方框組+鏡板建具を採用したことも関係してくるのだろう。建築との意匠的調和を保つための上框の見付が上枠(鴨居)の違いで変化してはいけない。(慳貪建て込みの関係で鴨居敷居が異なることによる逃げの違いを見込むと、雄雌の操作が一苦労であろう。)アングルの採用は固定・取り外しが簡易的で、専門の人間でなくても脚立さえあれば梁を頼りにその位置を変更することができるという意図で建物の可変性に寄与する所作であるが、モルタル均しの床に埋め込まれたステンレスの下部レールは移設不可である。枠ごと建具を移設したとしても、下部レールは移設が難しいので床をかさ増しレールを再設置した上で扉の下框をアンダーカットせねばならない。そのように考えるとアングル鴨居の可変性は建物可変性へと安易に直結させては枠全体において作業能力の焦点が合わないのでいかがなものかと感じながら、木割書で建ち上がる日本建築との違いに着目してみようと思う。本来敷居は室内において(埋め樫などの溝を除き)畳と面一になるため、裸足や靴下で歩いていても不快に繋がることはない。裸足の場合畳の上で摺足で歩くので敏感に段差を感じるため面一であることは必然であろう。襖を外せば一室空間、襖を閉じれば個別空間へと両義的な日本建築との共通点をこの建物にも感じながら、ステンレスレールに話を戻すと、土足利用のモルタル床上に出現した金属製敷居は跨ぐ存在になっている。外部門扉と同じ考え方にすれば、アングルの直角部分を上向きに設置し戸車をV型とする方法と、埃が溜まる短所はあるがヤボシのトラックレールを使用する方法などが候補に上がりそうだが、前者は床面面一は不可、後者は床面の広がりの優位性を考えるとこれも候補から外れたのであろう。使用者が変わり床面を上げる際は、根太+合板太鼓張りで目地の発生するタイルや石などの仕上げを選定すれば後者が採用されたりするのかもしれない。要はこの敷居の判断がとても難しいところであったのではないかという推測の元、土足利用としても3本レールが続くと靴底が厚くないかぎり、スニーカーやサンダルではレールを感知せざるを得ないのではないかと感じてしまったのである。身体性という設計文脈上、触れない訳にも行かない。

建具の高さは垂壁の不在により通常より高いものとなっており、身体性からはかけ離れている。その代わり本来なら2枚で不足ないはずの引き違い戸は、その1枚の建具幅を身体性へと落としこむことで3枚構成となるが、召し合わせを縦框見付分60mm全てとることでその過剰さを緩和されている。建物構造と相似関係にある建具は、その姿図の縦横比によって人間との相似関係にあるため、飛躍論にはなるが演繹法で言えば、建具を介し建物と人間も相似関係と言えるだろうか。ただ建具は全てが框組扉であるわけではなくフラッシュ扉もあり、その幅寸法が建物モデュールに従うときは高さ寸法において身体との調和を図る。フラッシュ扉に関しては従属する空間に繋げて紐解いてみようと思う。

 

各部屋の作りや設えはとことん分解される方向で、施主の所有物の表出が想定されるインテリアとのスケールを近づけようとされていた。インテリア、家具は特注だとしても必ず身体と物の大きさと関連して大きさが一般化されている。身体からの距離でいうと服、道具、家具、建物、地域、街、都市みたいな同心円図式でその概略は説明可能で、家具は造り付け家具という言葉があるように建物に直接接続できる寸法体系でもあるが、いわば少し中途半端とも捉えられるスケールだ。ここでは逆に建物に必要な建築部位である階段や上階の落下防止柵、閉じるべき空間である浴室、収納などという間取り図という抽象度においても記載されるような部位が分解されて家具スケールに落としこまれていく。

 

上下階を繋ぐための階段は鉄骨、木、煉瓦ブロックという異素材3種の選定がされており、吹き抜けを象徴化するために最小部材寸法で最大段数を生産可能な鉄に優位性が置かれ、適材適所で構成されている。木箱のようなスケールの階段(段板の小口が控えめに主張している)と、一見不合理に見えるような積層煉瓦ブロックは溶接やビス打ちでは組み立てできない部材で、その工法が異なる点でアクセントとして選ばれたのだろうか。単純に積み上げるだけの操作で階段の一段目として、またリビング、テラス空間に向いたベンチとして人間の行為が見えてくるようである。(身体性の獲得の意)さて階段に必須な手摺について。できるだけ工場で正確な寸法で製作可能で現場加工が出ないスチールはその接合方法も丁寧に設計されている印象を受けた。工場では溶接、現場では柱・梁・スラブにボルト留めと乾式固定手段が見られる。落下防止のためであれば部材を水平に渡す方が人間の重心にとっては合理的であるが、ここの手摺が段板勾配に平行方向・直交方向に伸びており、柱、ささら桁と接続しているのはやはり吹き抜けの優位性に基づく判断なのであろう。強い設計者の意志を感じることに加え、スチールという素材が自ずとこう振舞わせてくれと訴えかけてくるかのような悠々と伸び伸びしたディテールで、上階において梁にまで伸びる丸鋼(or丸パイプ、以下同じ、恐らくその自重と剛性からパイプと推測、丸鋼なら靭性に富むが手摺はその可塑性は意味を成さないであろう)もそのような動的な意匠へと昇華されている。

一方でその固定方法に疑問があり、丸鋼と柱、丸鋼と梁は立体名称で円柱と直方体であろう。その接合断面は円と線分である。円の接点でしか接しない取り合いは果たして合理的だろうか。先程の「道具、家具」の文脈で例えるならば、パイプ椅子で木製や革製の肘当てを使用している製品は円周に沿う形で、木製はその軸力を生かしたままルーター加工され、革製は巻き付くという形で接している表面積を確保している。スケールダウンすることは部品のスケールアップがある意味必要で、パイプを捨て穴加工するだけでは焦点が家具にあっておらず、皿穴加工のうえ、ボルトも黒皮塗装か、焼き付けで黒に合わせる方がより家具的、道具的なのではないかと感じる。丸鋼であれば穴を円の中心を外さず貫通させることが難しく、細い径だと余計に難しい。ワッシャーも意味がなく、少しでも軸方向の回転が起きてしまうとボルトは効力を持たずその使用頻度により、素材の儚さ(揺れや外れ)を感じることになるかもしれない。構造体は断面欠損で加工できない分、フラットバーを部分的に溶接しておくなどの一手間が欲しかったところではある。ただ上階の木製タペストリー下地の円柱木部材と鋼材の曲げ部分の取り合いは直径の異なる円2つが見事な緊張感をもたらしており、どちらに優劣があると感じさせない干渉具合で建築(梁)と接続していた。個人的には慣習的なパイプの使用方法は電車の中にある気がしており、上部の物置棚を支えながら、椅子から立ち上がる際の補助手摺・体を寄りかからせる棒・吊革を固定する部材として様々な役割と自然なR具合で担いながら景色に溶け込んでいるので、ついつい見てしまう。搬入、梱包を考慮した無理のない部材寸法取りのため、ソケットが多用されるが、ビスは全て頭をパイプ肉厚の内部に封じ込められ、無意識に触ったとしてもその感触に引っ掛かりを感じたり、安全に配慮されている点でいつも準えて見てしまうのである。

 

少し脱線してしまったが、次なる分解操作は落下防止柵である。必要高さを満たし、建築モデュールのグリッド内に納まったチャンネル材は巾木高さほどに設けられた2つの水平横架材として柱間に渡される。「タペストリー」としてロープを選定し、さらに中央に木製横架材が設置されるがこれは上下方向に引っ張られる紐に繋ぎとめられただけで、実際は宙に浮いている。結び方のディテールまで自分は紐解けないが、物語があるかもしれない。そんな無知な自分からすると、剪断力に弱い木材の使用法としては、日常生活の衝撃を想定すると少し気にかかるところ。中央で紐を括ることができて浮いたディテールであれば金属部材で細い円形リングなどで均等に引っ張り力が分散する意匠などは考えられないだろうか。少し船舶風の意匠になり癖が強いかもしれないのでなしか。

 

個室空間の表現に言及して、身体性の獲得に向けられた意図の読み解きを締めようと思う。1階部分の耐力壁は全て真壁で柱壁が散りをつけ、シハチ板が部材のありのままを示すべく底目地を切りながら構成されていくが、1階リビングの上がり框、2階部分の浴室、脱衣室、収納、洗面所では留めにより小口を隠したり反対に合板の積層小口を見せたりしてスケールの操作が行われている。浴室の壁は柱梁と散りでなく、切り離す室構成をしており出隅に部材厚を見せないことで一つの木箱としての表現としている。収納や洗面所はスラブの中に納まるのではなく、吹き抜け側に片持ちしているようにボリュームが寄せられている。生憎収納ボックスは見ることができなかったが、少ないルールにより想像はしやすいものだった。これはエアコン隠蔽のボックスや壁にも波及している徹底ぶりだった。ここでフラッシュ扉の話に戻ろうと思う。家具性を持った室空間に従属する存在としての扉のため、框組でなく大手材の小口すら嫌うまっさらな表情のラワンフラッシュ扉となっている。注目すべきは大手の意匠で、合板を使用していることに正直でありながら、フラッシュ組みであることに嘘をつく積層見せで、5mm程度のラワン無垢の挽き板をわざわざ大手に取り入れるような手間は省かれる。あくまで操作は単純に。さらにこのフラッシュの取手には不思議がたくさん詰まっている。作りは単純で仕上げ材であるラワン5.5mmに穴を穿つだけで穴部分にはフレーム側で下地を入れておけばいいだけのことなのであるが、また積層小口に騙されるのである。透明性の操作を楽しんだ設計者の手のひらで踊らされたよう。

 

 

この襖を想起させる円形の穴の高さに違和感を感じない人はいないだろう。一通り説明を受けたあとでこの手掛けが建築モデュールに取り込まれていることに気がつかされる。通常既製品で「取手」製品が販売されており、意匠的な好みで選定するところ、慣習的な使い方をしない手法(排水用VP管を取手にするなど、見慣れたものを見慣れない使い方をすること)でもなく造作でしかも高さは身体性からかけ離れた位置にあるのだ。これは賛否両論あるように思われる部分で、通し引き手で使用者の年齢に関わらず任意の位置で使用可能という訳でもないので、誰にとっても違和感がある。FL+800程度の高さに手掛けがある場合、扉に働く力の関係で紐解くと、正円の手掛けの場合、手を掛ける場所は右下がり45度(開閉方向によっては左下がり)に力が加わるため敷居の方で滑り、鴨居がガイドとなり戸厚軸回転を防ぐ。襖は畳に座った状態で開けることもあり、正座した際の目線と同じ高さというのは総じて合理的に決まっている。ここでは座って開閉することはないが、立って使用する場合も脇が閉まらないので人間の腕に最大モーメントが発生せず、力がうまく敷居へ伝わらないと推測できる。ただ2022年、埋め込みのVレールと戸車で軽々移動可能なのだろう。しかし通常の力の加わり方が変わってしまうということには意識的でありたいものである。しつこいが、5.5mmの見込みも少し気になるところである。合板の中でも特にラワン材が剥がれやすい特性をもつ中、指のかかる寸法が少ない上、線分でなく円形のため手掛け一つにしても力は伝わりにくい、ような気がする。身体性という文脈から外れてしまったことは個人的には勿体無い部分と感じてしまった。取っ手の選定、位置は階段手摺の高さは通常であることや、タペストリー造作に使われている部品の選定などに焦点を合わせるべきであった。ただ階段の煉瓦積層方向が本来と違うことと同じ解像度で見てみれば、襖手掛けを簡略化する考えは面白いと思いつつ、見込み寸法は7mm程度に生きていて欲しい部分なのだ。無数の判断の中で拠り所が少ない分、何に優位性を持たせるかは設計者の個性でもあるので気になるところである。

 

 

吹き抜け部分の照明は梁を頼りに設置されるのだが、平面的にも立面的にも設置方向が興味深い。梁に直交する形で、上下方向に光を照射できる設計となっており、鉛直荷重(蛍光灯)と吊り荷重(ダクトレール設置)の剛性担保と配線経路を同時に確保しながら最小限アルミ部材(角パイプ+アングル+フラットバー)で固定できるような構成をなしている。この照明要素は吹き抜けを優位に置きながらも梁を一段階分解する所作で、聞いた話によると施主が洗濯物干しを梁に渡す予定のようで、まさに人間にとって道具スケールの創造的行為をも誘発するのであった。梁は今、建築から道具になり身体性を獲得したと言えるのではないだろうか。壁で仕切られた各個室にはブラケットライトが設置され、ボルツハードウェアの陶器製ソケットに小ぶりな電球が取り付けられている。設計者の繋がりを垣間見ながら、個人的にソケットは青山電陶のソケットが一番小ぶりで無個性で、、なんていうのは好みの問題。ただ施工者からすると陶器は敬遠されるから個人的にも注意して採用したい部分である。2階洗面所の鏡が取り付く亜鉛管は鏡の回転を防ぎながら、配線経路も兼ね、鏡上部から光をもたらす。ここに見られるような少ない手数が多数の振る舞いを演出する所作は他にもたくさん詰まっている。例えば寝室の3枚ガラス扉の中央扉は片開き機能を担っているのだが、隣り合う縦框を枠として兼用し、ピアノヒンジと丸球捻締により成立している。自分が気が付いていないだけで他にもたくさんこのようなディテールが込められているのだろう。蛍光灯の壁持ち出しも細長い敷地を象徴するような廊下をより奥行きを強調するように見えるのだろうか。

 

感覚的な部分、内装部材に焦点を当ててみる。柱や梁は節有りの針葉樹で壁面は南洋材のラワン材。建具の框は杉だろうか、節は無いが針葉樹である。そして面材はラワンで南洋材。洋風の仕上げ材で使用される広葉樹は塗装を施すことで美しくなる。日本建築は針葉樹の木肌の美しさ、色を入れる塗装には向いていないのが特徴で、南洋材は塗装を施さないとやはり「下地材」感が出てしまう。これらの併用で木目が出現すると、なかなか調和を取ることが難しい。仕上げまで完全に行うことが正しいことではないし、一見バラバラな材種を組み合わせることも決して間違いでは無い。「木材」という解像度で終わってしまうのは少し残念に感じたが、各部位のスケールや寸法調整の美しさ、苦労がこのようなクオリアの問題を包含しないことが建築を語る上で忘れてはいけないと個人的には思う。つまりこの建物は日本的なモデュールでありながら、針葉樹の木理などの統一は意図されていない。和でもなく洋でもない、そういう建物である。ただ議論の土台は少し違うところにあり材種などお門違いなので、これくらいにしておくべきだろう。

ところで屋根の見付薄さのことをどこでいうべきか、最後になってしまった。家具スケールであくまで部品として振る舞うべく考えられた逆梁構成(垂木の下に合板とケイカル板)で、垂木がセットバックしているのでけらばが薄くなり、鼻隠しの位置も本来と違う。そのセットバックした位置に雨樋を設置するという徹底ぶり。また妻面に樋が出ないよう配慮され、壁、開口部、壁、開口部とリズムよく整列する建物側面の立面の中央に竪樋がある。恒久性を真理にした時、住宅らしい窓が内部要求により乱立するクリシェを嫌ったのであろう。

 

物が表出され、それらが建築との融和していく、のような話は安易に説明できるものではないが、そういえば伝統的な日本建築はかつて家具・道具が出しっ放しということはなく、納戸に片付けられているか、付書院や床の間のように建築と家具が一体化していたと記憶している。現代の便利な生活のためには物で溢れてしまう家に対して、今回の建物の身体スケールの話は一種の潮流であるように感じつつ普遍性を持った視点だと感じた。

 

実施設計段階になってフラット35指定の基礎高さになったことによる建具仕様変更(枠との取り合いから面材の張り分けなど)など、現場での変更も楽しむ姿勢を伝えていただいた。建具とチャンネル材の絡みや浴室開口部やガラス戸の縦横比の唯一性など、富田さんが楽しんで実践していることが建築から伝わってくるのだ。そこに建築が建物である以上の価値を発見したくなる創造物を見たような気がした。用途はどうであれ、使用者が誰であれ、愛されるべき建物が姪浜にできたことに変わりないのではないか。一連の文章には間違いもあるだろうけど、心から楽しんで書かせていただいた。



富田さんお誘いいただきありがとうございました。

竣工おめでとうございます。

 

櫻井翔太