『スリービルボード』感想

 

スリービルボードを見て

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先日見てきた映画の感想を大学4年生がテキトーに語ります。

アカデミー賞にも多くの部類でノミネートされている注目の映画ですね。

一応基本情報を載せておきます。

 

基本情報

監督:マーティン・マクドナー

主演:フランシス・マクドーマンド / ウディ・ハレルソン / サム・ロックウェル

撮影地:アメリカ、ノースカロライナ州

 

まずこの配役の時点で少し疑問が出てくるのですが、、

そう監督は生粋のイギリス人なんですね、、先に言ってしまいますが、この映画の主題の一つに人種問題があります。

つまり何が言いたいのかというと、監督はイギリス人、撮影地はアメリカ、内容もアメリカ全土の縮図を描いている点ということを踏まえるとこの映画は「外人から見たアメリカ」という大きな視座が前提にあることを理解しなければなりません。

 

実は僕ら日本人も当然アメリカからすると外人なので特に気にすることはないのですが、なんで監督の国籍に言及したかというと、アメリカ人がこの映画を見た感想と外人(アメリカ人以外)が見た感想は異なってくるためです。

と言ってもアメリカ人から見た評価は調べないとわからないことなので最後に回させてください。

 

さて、本題に入っていきたいわけですが、多くのサイトでかなり深い考察がなされているので、それらの感想、評価の中で言及されていない視点からの感想をこの記事の主旨とさせていただきます。

 

僕の視点は。。

僕が何に言及したいかというと、この映画を都市的、建築的に、つまり人種問題や実際に起こった事件という内在的な部分を外在的、物理的にどのような構造を持っているかという視点から紐解いて行こうかなと思っているわけでございます。

と言いつつ、それが正しいとも限らないので、参考程度に見てくださいね笑

 

最初に押さえておくべきはタイトルにあるエービングという土地名が架空であることですかね。つまり大きな土地において、学校には車で送り迎えするような距離感、つまり交通手段として自動車が欠かせないというアメリカ全土における生活感が示せれば良いわけです。まさにタイトルにもなっている看板、ビルボードが配置されるのもアメリカならではの光景でしょう。この監督は「この作品はアメリカそのものだ。」と伝えたいのですね。

 

登場人物と物理的関係

次に登場人物の簡単な整理をしたいと思います。

(この映画は「人間を言動や行動で簡単には判断してはいけません」という副題もあるので正直整理したところで理解しやすくなるというわけではありません笑。しかし人物の住んでいる環境、土地性、家、職場、学校など物理的関係を把握する上で必要かなと思うので事実とともに整理してみたいと思います。)

 

・母親ミルドレッド

看板の裏側が見える丘の上にある一戸建てに住んでいる。

職場はお土産やさんで、道の突き当たりにある。店の中からよく道路が見える。

 

・ガンを患う警察署長ウィロビー

警察署からは少し離れたところにあるであろう家畜を飼育する場所があるくらい大きな一軒家。周りには山々と大きな草原がある。自殺する前に奥さんと愛を育むために子供達を湖の近くで遊ばせるシーンがあることから家からすぐ近くにその湖もある考えられる。

 

・悪徳警官にしか見えてこないディクソン

先ほど言った通り、故意的に視聴している側からも実際にこの映画の中の人物たちも良くは思っていないだろうという役周りなのです。というのはさておき、母親と丘の上に住んでいます。こちらも一戸建て。まあ舞台が田舎なためかなかなかマンションとかアパートはないよね、、

 

・広告社のレッド

警察署の目の前に広告会社がある。しかも2階。警察署を見下ろす形で視線の関係が成り立っている。

 

・黒人の新任署長アバークロンビー

自宅は出てこないがここでは警察署の位置を。広告会社の目の前。道を挟んで。

一階に主な部屋がある。実はディクソンの所定の席から広告会社はよく見えるのである。

 

・息子ロビー

学校は自宅の丘を下ってスリービルボードの道を抜けた場所にある。

 

こんなところでしょうか。

恐らくこの小さな地域で把握するべき位置関係を抑えるにはこれで良いと思います。

学校、警察署、土産屋、住宅、バー(犯人がぽろっと自分の犯した罪を言ってしまうところ)、レストラン(元旦那と19歳のガールフレンド・ミルドレッドと身体障害者のジェームズがたまたま居合わせてしまうところ)、病院(広告会社のレッドと悪徳警官ディクソンが同じ病室で居合わせるところ)この辺まで把握できて、平面に落とし込むことができれば十分な資料になるのですが。。あいにくそこまでは観察できませんでした。

全体の都市構成がわからなくとも、同じ病室、同じレストランという条件からしてこの地域がどれだけ狭くて、人間同士の関わりが自然と近い関係にあることさえ理解できれば良いのかななんて思ったりもしていますが。。どうなんでしょう。

つまり、この地域の住民は選択の余地がかなり限られているということです。現代の日本では駅の近くに行けばご飯を食べるところがたくさんあるし、宿泊施設もお土産コーナーもそんなに必要かと消費者が思うほどに発達しています。アメリカは土地が広いという条件のもと、この映画で描かれているのは事実に近いものだとより感じさせてくれるでしょう。

 

 2箇所の建築的解釈

大きく分けて2箇所の場所にスポットを当てて、見て行きます。

 

看板とミルドレッドの家

まずはこの映画に欠かせない三つの看板がある通り、学校、ミルドレッドの家の3カ所の関係からですかね。

この看板を発見するシーンは確か霧がかかった場面。気持ちがなかなか晴れないという情景描写とともに始まる。娘を殺されてそれが解決していないという意味でね。7ヶ月という設定になっているけどもう少し早くてもよかったんじゃないかなとも感じるわけですよ。だって自分の家から看板は良く見えるし、看板の存在は以前から知っていたわけでしょ。しかも学校の送り迎えのための通過する毎日の中で看板は目に入っているわけですよ。

 

ミルドレッドは看板の管理をしている会社をわざわざ車を降りて見に行くシーンがありますよね。警察署長のガンを知っておきながら、(警察署が大体どの位置にあるかくらいも小さい地域に一つだから知っているわけです。 )看板を管理している会社がどこにあるかは全く知らないんです。

なぜでしょうか。誰も看板なんかに目を向けないんだという国民全体の意思なのかなとぼくは思います。この後ミルドレッドが衝撃的な赤字に黒の文字で広告を貼り出すまでは。。

 

そうなんです。あの3枚の看板、文字に意味があるように思われますが、色のデザインはよく考えられているなと感心しました。衝撃的な事実を簡潔に他者に伝える力。これこそ「デザイン」だなと。表音文字であるアルファベットはこういうところでデザインに生かされるわけです。

 

完璧なデザインがなされたことでこの地域全体に大きな不安をもたらします。これは小さな世界を示すとともにミルドレッドのデザインセンスも示しています。さらに看板の持つ力も前後の人々の関心をみるとその変化からよく理解できますね。

 

看板にまつわるアメリカ映画、原作は小説ですがギャツビーに出てくる大きな目もアメリカらしい看板ですよね!

 

なんであそこまで大きな看板が必要かわかりますか?

答えは車です。

実は人間が本来以上の速度を持ったために出てきた一種の建築物なんですね。代表的な看板都市としてラスベガスが挙げられますが、車社会となった現代では看板は立派なアイコンとなったわけです。

ここではあまり看板に言及してもあれなんでロバートベンチューリの『ラスベガス』を一読してください。面白いですよ!

 

警察署のある場所は?

次に行きましょう。

警察署と広告会社の2つの関係です。

通りを挟んで正面にこの2項は対面しているのです。

この関係は

・ディクソンとレッドの所属を示す2点

・この地域の主が、つまり都心的な役割がこの場所にある点

を示しているものを考えられます。

 

まずディクソンとレッドの関係ですが、看板事件が起きてからが始まりですね。もちろんこの事件がなければこの2項は繋がりを持たないことにも注目です。署長がガンで死んで怒ったディクソンはレッドを殴り、2階の窓からメインストリートに放り投げます。この事件からこの2者はまた2者ならではの関係ができるわけですが笑(病室が同じという点においてです。)治安が守られているはずのこの地域の核で警官が白人をぶちのめす(見せびらかす)というなんとも心の痛いことが起きてしまうのです。流石にこれがきっかけでディクソンは首になるわけですが笑

 

ここでは白人が黒人を差別しているという事実とともに、警察という権力を盾に誰にでも暴力をふるってしまうなんとも冷淡極まりない悪印象のシーンを描く必要があったという感じでしょうか。全く物理的な話では無くなりますが、この映画の主題として次のシーンが読めないという面白さがあります。見ている側がとことん裏切られて行くわけです。先入観に訴えてくる作品なんですね。恐らくこの話の構成力によって脚本賞は確実でしょうね笑

最終的にいい役回りに回るディクソンの伏線としてこの事件を起こす必要があったということです。

 

放火のシーンもここで起きていますね。

ミルドレッドが警察署を燃やすシーンです。まさかディクソンが中にいるなんて!

ってやつですね。笑

とことん監督は伏線を重ねるんです。ずるい!

なぜかって?看板を燃やされた復讐として、そして公に警察はひどいということ(全くの勘違いで看板を燃やしたのは元旦那。)を知ってもらおうとするために警察署を燃やすのです。とことん人間の思いというのは重くなって行くわけですよ。。

それを象徴したセリフが「怒りが怒りを呼ぶ」という19歳の元旦那のガールフレンドの言葉。まだ社会に出ていない、しかもチャランポランな人間でも世の中の核心をつかむことだってあるんだよ。という表現ですね。

 

少々余談を挟みましたが、建築的解釈ができるのはこのくらいしかないんです。。

書き始めはもっとあると思っていたんですけどね笑

 

 

音楽について

ちなみになんですが自分の気づきと映画の解説をしている人のところでの理解を複合させ、使われている音楽にもスポットを当てて見ることにします。

 

まずハレルソン演じる警察署長の登場シーンに使われている音楽から。

youtu.be

 

そう、フォークソングらしいんです笑

事件解決しないのはこの人のせいだ。とミルドレッドが主張するおかげで、僕ら視聴者側からしたらいいイメージを抱かないわけですよ。家庭でも始めのディクソンからの電話で汚い言葉を使っていますしね。。

結局はこの人自身ガンという重い病気を抱えて自分と闘いながら行きているわけです。

神様を信じて真っ当な人生を生きる人物であったと、後のミルドレッドとディクソン、それから奥さんに宛てた手紙でわかるわけです。

 

次にミルドレッドに対して使われている曲です。

Mildred Goes To War

Mildred Goes To War

  • Carter Burwell
  • サウンドトラック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

なんか西部劇っぽい。というかイーストウッドっぽい感じ笑

僕が参考にしたサイトでは女版イーストウッドだ。なんて解釈もされています。

というか見た人なら誰でも感じますよ!

 

最後にディクソン。彼にテーマ音楽があるなんて気づく人少ないのでは。

いやむしろ多いのかもしれませんね。

なぜかって。だってこの人の音楽だけ彼自身しか聞けないんですもの。

わかりにくい言い方をしてごめんなさいね笑

実はこの音楽が流れる時はディクソンはイヤホンをしているんです。

つまり映画の中にいる登場人物たちはディクソンがこんな曲を聞く人物だなんてわからないんですよ。

youtu.be

アバの曲だとは僕も後で知りましたが、ぼくらが抱く悪徳警官のイメージとは全く違うでしょう?笑

と映画の中で気づきながらもなぜかなんてわからない。

結局はただの伏線で最後のシーンになってこの人の本性が明らかになって行く過程を見てマッチして行くわけですが。。

 

だからミルドレッドが放火した時も火事の音に気付かない。イヤホンして周りの音が完全にシャットダウンしているから。多分彼がイヤホンをするのはバレたくないから。としか推測できません。。

 

とまあこんなところでしょうかね。

他にも色々ネタはありそうですがぼくはここまでしか見れていません。

とにかく一度自分の目で見ることをお勧めします。

 

恐らくこの映画は一言で語れるほど簡単なものではなく、色々なパースペクティブから見ることができます。なので見るたびに視点を変えて見るのはいかがでしょうか。

なんて言ってるぼくは一回しか見ていませんが笑

 

ということでスリービルボードを見た感想でした。

では!