夏目漱石の三四郎を読んだ。
中学の時に読んだ坊っちゃん以来である。
小説を読むようになったのはここ最近で、電車の中でのみ小説に時間を費やしている。
学校にいる時間や家にいる時はなるべく読まないようにしている。
専門書よりは読むに難しくないのでね。
ストーリーがあるし、人の台詞があると多少なりとも読みやすい。
しかしこの時代の本の台詞は改行をしない。
ところもある。
それが非常に読み難い。
さてこの「三四郎」だが熊本から東京の大学に上京してきた若い男の物語である。
仲良くなったクラスの友人、先生、それから女性。これがメインテーマなんだろうけど。
結局彼の恋は実らない。ことは大事な要素なのか。
まだ読んでない人ごめんね。
当時の結婚はほとんどお見合い結婚であろう。
古い小説からはそういう社会の様子をなんとなく知ることができる。
彼とその女性の情事の描写もないし、三四郎も言うほどアピールをするわけではない。
どちらかというと勘違いなのではないかなどと思ってしまう。
女性、まだ名前を言っていなかった。美禰子だ。みねこと読むらしい。
そうこの美禰子も三四郎に対して思いを抱いているのかはわからない。
この小説のいいところはそこなのかもしれない。
はっきりとした表現をせずに読者の解釈に任せる、というより想像してもらいたい。
という筆者の考えがあるのかもしれない。
語彙力の足りない自分にはこの作品を解説できるほどの力がないのがとても残念。
もっと言葉にしてみたい。
ネットを参考にしながら続きを書こうと思う。
美禰子と三四郎の間で一つキーワードが出てくる。
ストレイシープ(迷える子羊)
という美禰子が放った言葉である。
間違いなくこの作品を述べる上で必須事項であり、だいたいの批評がこれを中心とした
書き方になるだろう。
というかどの記事を見てもだいたい書いてある。
この言葉が出るまでの2人の間柄はというと、美禰子が三四郎を小馬鹿にするような発言が多く出てきた気がする。というのも当時の東京帝国大学に通う男性と対等、もしくはそれ以上の対話ができる女性なのでかなり知能に長けているということはわかる。
実際は三四郎以外の男性とも親しい関係にあり美禰子の存在というのは極めて重要であるように見える。
そして本題のストレイシープ。
三四郎含め男性関係においてなにかを迷っていた時に三四郎に向かって発した言葉である。
自分はこれは男女2人のみの空間でこれを言われたら男性は自分に気があるのではないかと思ってしまう。というふうに捉えている。
本当のところの意味は全くわからないが、。
てか自分だったらきっと勘違いするというか考えるよね笑
おっ!て。
まあ女性のことに関して疎い自分がどうこう言える話ではないんだが。笑
ていう恋愛小説とも言えるような言えないような。
自分は恋愛小説でいいと思う。
というよりそう思ってネットで検証をした笑
青春小説という意見もある。
確かにはっきりと2人の様子が描かれている訳でもないし、オブラートに包まれた感じがそういう風に捉えることができる。
三四郎という若い男性の世界を知って成長していく姿を描いた名作である。
ことには間違いないし、自分の年齢に登場人物が近いと割と理解しやすかった。
今は夏目漱石つながりで「吾輩は猫である」を読んでいるが、三四郎よりも長いし文体が難しい。
しかし猫の視点で描かれるちょっと「ふっ」と口元が緩んでしまうような情景もあるので楽しく読んでいる。
図書館の返却期限に間に合わなかったので延長をした。
さあ頑張って読み終わるぞ〜。