フーコーからのヴェンチューリ

 

 

 

 

研究室の活動で読書ゼミというのがあります。

詳細は今回は書かないけど、ぼくらの班はミシェル・フーコーの『これはパイプではない』という本を読み、2回に分けて発表しました。

内容としてはルネ・マグリットという画家の作品を使い、この世の中がいかに言語によって規定、支配されているかを問うた作品です。

実はこの本よりも『言葉と物』というやつのほうが有名だとは思うけど、さすがに量が多すぎるので、それの縮小版としてパイプではないを先生は選んだようです。

 

ページ数は少ないけど、内容が大変濃く、かなり哲学的な解釈かつ和訳本ということもあり解読するのに時間がかかりました。。

その分得られることは多くあり、本の読み方まで修正しなければならないように感じましたね。

 

世の中は「言葉」という制度によって支配されていること、普段使っている言葉自体にもっと忠実であれ的なというのが結論で、さらに言葉だけではなく、制度という人間を縛り付けている一つの枠組みがあり、制度は人々に安定をもたらし、世界を成立させていることが示されました。

 

 

さて、これがどう建築に繋がってくるのかというところを現在思考しているのです。

建築という学問分野において、母型はあるのか、この世界が類似と差異で成立しているならば建築における類似と差異はどのように生まれるのか的なことを考えているのです。

 

そのために建築の歴史を大きく概観した時に、古代ギリシャから現代建築まで数多くのものが残されています。さすがに全部を扱うのは不可能なので、古代ギリシャ、ゴシック、近代建築の3つにわけ、それぞれの根底にあって思想、源泉、原型を見つけてみよう。という話になってます。

 

班の中で僕は近代担当なのですが、これまた難しい。

範囲が広すぎるので先生の推薦図書ヴェンチューリの『ラスベガス』を読んでどうにかフーコーの視点を利用できないかというところまできています。

 

折衷様式から抜け出そうと装飾をなくそうとした結果、象徴すらなくなって、建築自体が装飾になってしまったみたいなことが書いてあります。

このヴェンチューリのいう象徴やら様式やら、装飾という言葉一つ一つにかなり具体性を持たせなければ意味がありません。

それをみんなに理解させないといけないし、まだ自分も理解していないので頭がパンクしております。というわけでブログを書くという休み時間をとっております。

 

明日また先輩と話し合いをするのでそのときのために整理したレジュメを作らないといけないので、今日はこの辺で。

 

では!