ここ最近悔しい思いをすることがある。
しょうもないことなのかもしれないけど、自分にとってはかなりの課題であると考えている。
友人にこう言われるのだ。
名作ばかり漁っていて何が面白い。君自身は何も生産しないのか。
表現が抽象的すぎる。
など。
広い分野においてインプットに集中するあまりアウトプットをしていないのだ。
読んだ本の感想を考えることもない。
見た映画について批評することもない。
数を稼いで知識として満足してしまっている自分がいる。
思えば高校時代からアウトプットに関してはかなり苦手だった。
状況がわかっていても発言しない。
指示を出せばいいのに曖昧にしてしまう。
せっかく言える立場におかしてくれていたのに。
思ったことを口にすることとはまた相異なる気がする。
中学の時も体育の先生にも言われていたな。
あの子は次に何をすればいいかわかっているのに行動しない。とか。なんとか。
それが今になってかなり深刻な問題になってきてしまっている。
今日はこんなことがあった。
サヴォア邸のよかったところはどこ?
と友人。
空間の質が変わるところ。
デザインが統一されている中で表現している。
そんな感じのことをいった。
抽象的だな〜。
正直言われる前に自分でもわかっていた。
なぜなら自分はその建築について研究をしていないからだ。
いっただけで勉強をしていない。
インプットすらしていないのにアウトプットできるわけがない。
それに対して友人は建物のディテールについて語り始めた。
完全に敗北だ。
便所の上は吹き抜けになっているんだ。でも右側からちょこっと庇のようなものが出ているだろう。これは便所の中に入った時に奥に空間があることを感じさせるためなんだ。と。なんと。自分の知らないことをツラツラとしゃべるじゃないか。
さらにその友人は建具についても気づきが鋭い。
僕がただの銃なら彼はライフルだろうか。
その建具は引き戸を中に収納するためのものだった。
自分が訪れた時にはもう外されていたようだが。
彼は世界遺産になる前に、自分はなったあとにいったからだ。
もう建具を動かされないようにするためだろう。と彼の考察。
その通りだねきっと。
さあ何が言いたいかっていうところだ。
そう、自分の出力の出来なさだ。
原因は訓練、語彙力、スピーキング能力、あとは普段からそれを意識して発言をしていないことなどだろうか。
こればかりは人にアドバイスをもらって良くなるわけではないのだろう。
自分でどうにかするしかない。
とりあえず今日はそれが悔しくて帰宅後即本屋でコルビュジェの本を読み、本文そのままパソコンに打ち込む。何もしないよりマシだ。
図面の勉強もしないと。
今度暇な時にサヴォア邸へのアクセス解説のブログでも書こうかしら。
いやそんなことより英語、、、
とか言っているくせに映画ばかり見ている。
有言不実行にはなりたくない。ネグレクトには。
そっかこれはリスニングの練習か。
いや今日見たのはイタリア映画だった。
シチリア半島の。あれね。
シチリアは料理が美味しいらしい。
一度いってみたいな。