sakush0’s blog

It's in the doing that the idea comes

A先生への尊敬

 

自分なりの理解と解釈を書いておこうと思う。

 

先々週の木曜日のエスキス、うまく言語化できずA先生に僕の思いが伝わらず、しかも余計なことを聞いてしまい、話が変な方向に盛り上がってしまった。建築を通して会話できなかったことはとても悔いが残るとエスキスになった。そのおかげでA先生に対する嫌悪感が否めず、次週の水曜日のゼミ、木曜日のエスキス両方休んだ。

 

家でぐーたらしていた。何もやる気が起こらない、所謂病み期である。

 

映画をみたり、、ねたり、、

その中でもホームアローンの内装舞台に感心できたら、マトリックスがかなり哲学よりの内容ということに気づけたり。(ここについてはまた今度記事にしようと思うけど。)

 

休んだおかげか設計もうまく進み。

 

水曜日のことだ。

いつも通りゼミに参加する時間には学校にいた。しかし、3年の時にお世話になったS先生から【急なお誘い】という件名で連絡が入った。

原宿の事務所に来てほしいと言われたのだ。

これは人脈保つためにフットワーク軽くして行くしかないと即決。

ゼミ休むことをメールで送ろうとしたとき、学校をでる僕とA先生はすれ違った。なのでメールは打たず、直接理由を説明し休むことを告げた。

 

僕のセリフ「こういう理由でお誘いを受けたので行ってきます。」

 

実はここに問題があった。

次の瞬間A先生はキレた。

え?ん?なんで?って僕の頭は通常モードではなくなった笑笑

なんていう風にキレたかというと、「筋が違う、通らないだろ。」みたいな感じ。

 

この意味としてはゼミに参加し、他人の意見と自分の意見を共有して、新たな見解を生み出すことより、自己の利益を優先するのか。という感じだろう。

 

さて僕の発言に戻ろう。

「誘われた」

これは明らかな受動態である。つまり僕の意思を伝えるセリフではないのだ。

 

A先生のキレに対して僕は「僕にとっていいことなので」と答えると、「主観的な判断ね、いってらっしゃい」と言われた。

 

それ以外何がある?と思ってしまった。

しかし僕の受動態の発言にはそれが含まれていなかったのだ。自分はそのことに気づいていないのに、A先生は一瞬でそれを見極め、僕に主体的な判断であるという発言を誘導したのだ。

 

自分的には伝えたつもりでも言葉遣い1つで全く伝わらなくなってしまうのだ。それをしみじみ感じた。

 

というのも昨日の飲み会の際に先生からそのフォローがあったからだ。

主体的に動く僕にキレて、ゼミ中に睡眠してるやつにはキレないのは通常ならおかしいのでね。

それを【言わせた】というA先生の解釈に少し感動した。というかやっぱこの人すげーってなった。

 

 

というA先生とのストーリーである。

 

 

ちな、S先生の方に会って、来年GSDのワークショップに個人的に誘ってもらえることになった笑笑 それが嬉しい笑笑

アイオードに行くより、全然英語に関わっていることができている。素晴らしいことだ。

というかアイオードには負けたくない、英語に対する意識は3年の頃から持ち続けてきたからね。

 

人間というところでS先生は僕を呼んでくれるのだろうし、繋がりは大切だなと改めて感じたのである。

street photograph

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原宿に行く機会があったので撮ってきたやつです。

 

 

卒業設計2

あと一ヶ月後に提出が迫った卒計の今日のレジュメ。

■タイトル『LIFE with PATINA for antique enthusiasts 調度品に見合う建築とは』

 

以下候補

・調度品と共にある建築

・調度品のオブジェクト化

・調度品の移動する断片を描く

・調度品に見合う住宅とは

・調度品と過ごす生活

 

 

■設計手法

家具の分類は大きく分けて3つ

①人体系家具:椅子、ベッド(人尺度)

②セミ人体系家具:机、テーブル、台類(物尺度、人尺度)

③収納系家具:箪笥など(物尺度)

 

この3つに分けて設計する。

①人が介入する段階が早いので視線等、しかし調度品ならではになるはず。

今のところ、椅子の本来の使い方や意味、時代背景を解釈した上で、座るという機能のみを求める、、

②平面形は物尺度であるので床という部分に影響を与える。楕円形の模倣。

未だ高さ(壁、窓、屋根)方向のスタディなし。

③形の模倣。その家具の読み替え、読み取り。

 

これを1つにまとめられるdiagramとして

調度品/人/自然/建築

という4つのワードに集約できるかも。

 

調度品:持ち込み調度、壁紙、絨毯、カーテン、造り付け家具

人  :行為、動き、動線、視線

自然 :敷地、環境(光、空気)、眺望、方角

建築 :建具(窓、扉、間仕切り機能をもつもの、壁)、構造(壁、屋根、天井、床、梁、柱など)

 

全てが関連していることを示す。

 

➡︎能作淳平さんのパースペクティブ

オブジェクト(特にアンティークを選んでいるという点において)は解釈をした上で、機能を剥奪し、物の欲求を思考する。もしくは、機能をしっかり理解した上で、完全に機能を読み替える。(ex: 寝室で使われていた何かがトイレで使われていたり)。

オブジェクト主体(僕の場合は調度品のヒエラルキーが高いという点)で考える場合、人を抜きにして物を自立させて、再解釈されるべきである。

 

 

 

 

 

 

 

 

■自分のパースペクティブ

オブジェクト論を踏まえて設計できればいいけど、示したいこととしては2つの時間軸(個人による主観的な固有の時間、通時的に見た客観的な時間)を踏まえた上で、今の社会に、都市に建築とは本来何のためのものかを訴えることに重きをおいているので、若干無視をして、オブジェクト論の話にならないように持って行く。

 

施主が個人的に蒐集したモノに対して価値観の一致が櫻井と起きたところからこの設計は始まる。

 

つまり社会的地位、有名無名に関わらず人間同士というところで施主と建築家がいる。

 

この蒐集されたモノへのパースペクティブは決して誰とも共有可能ではなくある程度目が肥えていないと共有不可能であるためタイトルに「熱烈な支持者のための」といれた。白洲さんを選んだ理由としてモノに対する価値観が近いものを自分が感じたからである。

 

自分のその価値観は以下の経験と知識によって育成中のものである。

 

骨董屋のおじいちゃん、おばあちゃんとの会話、そこの商品に対する売り方の態度(モノを知らずして買って欲しくない)つまりこれはポスト構造主義者のボードリヤールのいうシミュラークルに対する批判の態度であり本来のモノへの考え方。自分はここに共感していて、モノの背景を知ってこそ使っていくうちにその人との固有の時間が生まれ、次の世代に受け継がれていく。

 

2015年に町田にできたイギリス系のヴィンテージを扱っているお店を引き当て通い始めた後、服業界での認知が上がっていった。(雑誌popeye、2ndなど)。cc41という軍事規制のかかったモノたちは未だ綺麗な状態で商品として出回っている。

 

p鎌倉の帽子屋さんのおじいちゃんとの会話。僕をお店に入れるとドアを閉め、僕だけのための接客をする(多少頑固なイギリスに感化された偏った考えにも思えるが)。007でも使用された超一級品のツイードを見て触ったり。今のダウンに詰められている綿には何の価値もないことを聞いたり。ウールのコートの袖口が4重にも縫われていたり。

 

価値もわからず売っているブックオフのような場所で記号的かつ機能的なモノを見極められること。

 

イギリスの古着屋に4時間居座り全商品をくまなく探し、自分の体型にあった、値段と兼ねて考え、70年代のウールのスーツを買ったり。それだけ居座るとモノに対して目を持っていると店主に判断され値引きも簡単にしてもらえる。

 

このような視座を得るために必要なことはとにかく動き、探し、低姿勢で話を聞くこと。

 

このような経験でモノへの視座が出来てきた。

 

この感性は服を飛び越え、今調度と呼ばれるモノに。まだ勉強中でわからないことだらけである。

 

これを建築においても見極めることのできる目が欲しいところである。(素材についての勉強から使い方、手入れの仕方など)。現在の建築論に入りきらない感性を養っていきたいというのが自分の態度である。

 

卒業設計1

余裕がなくてもこのブログを更新するべきなのかなと。

余計なことを書くのではなく、いかに無駄を省き、頭を整理できて、行動に移すことができるかが、この卒業までの一つの成長観点である。

と自分は感じているので、少しでも更新できるといいなと。

 

設計が進められないわけとは。

家具発信の設計手法が含まれている限り、家具の情報が必須なはずなのに、そこに関してやらずに来たのが今きてる。

しかしやらなかったといっても、それ以外のことは結構やってたので、基本の住宅のプランや基盤は揃えたつもりであるのだ。

さあ、この家具の情報を集めているうちに一人の参考になりそうな人物を見つけた。

チャールズ・マッキントッシュだ。

彼は建築と家具を一体の物として捉え、トータルコーディネートをしていた人物として自分では解釈している。

自分の近代の一つの流れとして、モリス、ロース、ライト、日本建築の介入があるのだが、そこに新たにマッキントッシュが加わった感じがある。

 

現に本の序章にライトと、マッキントッシュはパラレルに見るべきと記述があったのでやはり自分なりの分析はあながち間違っていないと思う。

 

なぜなら、近代とひとくくりにしても、収まりきらないデザイナーとしての秀でた完成があったと感じることが理由の一つである。

 

本物を追い求めて目が発達する過程を服飾において掴んだ僕にとって、建築の本物性みたいなところに足を踏み入れていってるのだろうかなどと思ったりする。

 

実務をしたことのない学部4年なんで、建築のけの字も知らない僕だが、見る目に関しては秀でた物を持っている自負がある。(女の子は除く。笑)

 

 

さて、家具についての勉強進度。

マッキントッシュという人物の存在、西洋と日本の家具に対する考えの違い、製作に関しての無知さなどが項目としてあげられる。

構法と様式が決まっていてそれを崩したり、利用したりして空間につなげていくことができるのが理想だがそんなことできるのか。

今は好きということだけにおいて家具というか調度品を選んできたが、それは経験による選択だった。しかしここに知識が追加されると、知識の利用という意味での選択方法が出てくる。

 

人間はその知識と経験を併せ持ってまた体験をしていくのだが、その頭の中の思考が、新たな物を見たり、すでに経験した物を見たりしたときに、その物に重なるのだ。つまり製作者側の意図を感じるであったり、その雰囲気にあっているだったり、それ以外にも、人間一人一人によってその物に対峙する仕方が違うのだ。

これは何をいっているんだ?笑

えーと。観念論かな?笑

あってる?

 

知識が増えるのはいいんだけど、つまりデザインリサーチが進んでいるってことなんだけど、理想も見えるんだけど。

提出するものを揃えないといけないのと、設計早くしたいのと。

バランスが難しい、。

 

これだっていうやつをどれだけ早く発見できるかなんだよな。

見つかり次第第二弾を記事にします。 

お世話になりました。

先日今までお世話になった塾バイト、完全に卒業しました。休ませてもらった約1年を除いて3年弱働きましたね。なんかバイトというバイトはここでしかしなかったから少し寂しい気がするような、しないような。小6から中3で生徒として18歳から22歳までは先生として長いこと関わったね笑笑

 

クラスを持って時給上がってからやる気が一気にでて、笑笑 試行錯誤しながら、先輩の先生やら常勤の先生方に話を聞いて、実践して。若い子達の相手とは言え他人の人生背負ってるんでね。なんとか役に立てればいいななんて、頑張ってた時期もあり、自分の学校生活が危うい時もあった笑笑

まあ単位を落とすことはしなかったのは自慢できるかなw

 

今回辞めることは先に生徒に言ってた。理由は言わなかったけど。前に辞めて戻ってきた時に、なんで理由も知らずまた授業受けなきゃいけないのって言われた時はちょっと「うっ」て心苦しくなった笑笑 そうだよなって思ってね。いきなり辞めるよじゃなくて、11月いっぱいで終わりって先に伝えてた、うん、正しい選択だったかな。だって彼らはこれから受験控えるし!変な影響与えたくないからさ。

 

前に受験生持った時も、今回もいい子達に恵まれて。今回はさすがに全く予想してなかったからビビったけど笑笑 手紙書いてくれた子とかお菓子とか飲み物、ノートに石鹸、お別れのプレゼントいただきました。自分からはなんも用意してなくて笑笑 焦ったよ、、、

大した言葉も残してないし、あたま良くさせることができたかというとそーでもなさそうだし笑笑

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ありがとう!

外でみんなで写真も撮ってくれて。

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気づいたら女の子ばっかだったのね、このクラス笑笑

 

申し訳なさでいっぱいの僕は次の日まだ授業あったからニューヨークで撮った写真の裏に少しメッセージ書いて渡した。これで穴埋めになってるとは思ってはないけど、何もしないよりはね笑

 

感謝でいっぱいです。

 

年上との出会いを求める年齢だけど、年下とも関われるいい場所だったな。地元だからいつでも会えそうだし、酒飲める歳になればみんなで遊びたいね。

 

まだまだ勉強以外のことを教えたり、アドバイスできたりしなかったからそこがちょい悔いが残るけど、みんなとりあえず受験がんばれ!!

 

ぼくは卒業に向けてしっかり制作するね。

お互いに頑張りましょう!

 

 

 

 

今日のレジュメ

◯住宅➡︎宿泊施設

この変容を書く方が調度品が長く使われていることが伝わりやすいのではないか。

今まで建築家のあり方、態度みたいなのを整理していたのは最小の幸せがつまっている住宅の設計なしに社会問題や都市の課題に影響を与えようという考えをしたくなかったから。この世界は問題だらけで解決しないといけないことがたくさんある中で、幸せの数もたくさんある。

その幸せも尺度は人ぞれぞれ、大きさも違う。大きな幸せを目指す中でまず小さな幸せを描きたいのだなという自分の立ち位置。

 

しかしその幸せが広がっていかないといけない。

時間が流れる中で建築は姿を変えるにしても変えないにしても世界にとって必要な存在でなければ意味がない。それは設計者、施工者の作り手の問題だけではなく、施主などの使用者の管理などの問題もある。

 

建築はモノとして、永く生き続けるべきであるというのが一番主張したいところ。

だから永く生きている様相を描くのが自分の問題提起に対する答え方なのではないか。

 

 

 

◯問題点

■施主の要望として住宅を設計するのに、その後の建築の使われ方まで想定して設計する態度とは。完全なるエゴなのではないか。

➡︎想定している態度は隠しているという見せ方、施主に対しての隠蔽。

 

 

■なぜ宿泊施設に転用されると思うのか。

➡︎①葉山という別荘地で住宅というあり方としての一つの建築に対する回答

 

 ②-1 その後の観光客を入れるという機能に変容すること

 ②-2 建築は生き続けるという自分の中の思いに対する回答を含むこと

 

 

■形を残すなら管理のしやすい美術館などの芸術作品としての建築としてのあり方だとダメなのか。➡︎モノは使われないと意味がないというのが念頭にあり、手を触れるなだったり、写真を撮るなという管理の態度に疑問を抱いていることと解釈している。また個人的な体験になるがイギリスで10世紀や15世紀に建てられた建物がホテルとして人を受け入れるその町の小さなシンボルになっているという建築のあり方を体感していることがある。

 

 

 

 

 

 

◯今回の作業

■場所のイメージを作り上げること

・ロースのいう被覆の原則により場所を作った。

(それに従ったのではなく、今伝えやすい共通言語としての紹介)

・自分のイメージする場所のアーカイブ作り

・その場所の繋がり、断絶の意識。

・方角(光の入り方、眺望)に対する配置

・急斜面に対しての断面計画

・住宅と宿泊施設両方を中途半端に組み合わせた状態(寸法的問題)

・構造皆無

・造形原理皆無

・材料不明

・場所の可能性探り

 

 

 

◯建築的問題

■基本事項

・構造         ➡︎地震国に対する答え方

・構法         ➡︎

・設備最小限      ➡︎近代から現代の建築に対する批判

・環境を害していないか ➡︎シミュレーションによってスタディ

 

■魅力付け

・造形原理の有無    ➡︎現段階は空間の豊かさ、見えのみの意識。自分の文法(責任)とは。

・場所性の有無     ➡︎空間で終わっていないか。場所になっているか。空間にする可能性

・調度品のリアルさ   ➡︎ライノセラス使用によるモデリング

 

 

 

◯次回の作業

■ひたすらにスタディ

 

 

 

建築ノート ちょいまとめVer.

・自分の立ち位置 / 建築家のあり方 この2項の矛盾について

 

(1)家具スケールから建築を考えるという意志と能動的に作家性を帯びた現代建築は同じなのか

(2)一つの統合された全体の考えとコンセプト、図式的ルールからできる形態操作は同じなのか

(3)家具から建築を考えた場合、能動的かつ調度品になり得ないことと家具は住まい手が集めそれぞれの思いを込めて使われる。そのことによって一つのスタイルができることは矛盾している

(4)他者に依存する態度と専門家としての責任のバランス

   例)早坂さん:責任がなかったタイプ

     関根さん:村野さんがそのバランスをうまく統合していた証明

 

(5)今の自分は言説、事例、敷地、ピクチャレスク、調度品という他者に依存しつつも、選択は建築家の自分がしているのでその態度は間違ってはいないのではないか。

 

 

 

 

 

・調度品 / デザイン この2項の区別について

(1)調度品の定義について

  ・長い時間使用されてきたもの

  ・その家具がある一定の時代に作られたことを証明でき、当時の流行(様式や装飾)、技術(構造や彫刻)、材質  等の要素を内包していること

  ・金銭的価値がつく

  ・銀製品(925、作者の印)/木製品(マホガニー、オーク、ウォルナット)

 

 

(2)デザインするモノについて

  ・道具でもなく建築と一体になるモノではない ➡︎ 道具も調度品になるし、建築は調度品になるべき

  ・もし調度品をデザインするなら、今デザインされたモノがこのアノニマスな世界で100年後に様式として認められるのか

  ・自分の考える調度品はすでに使われてきたものに対して

  ・様式を知った上でそれを楽しむ態度は施主のひとつの文法でありスタイル足り得る

  

 

 

➡︎すでに市場価値のあるモノをそのまま放り込みそれに見合う建築空間の提案をする

➡︎すでに市場価値のあるモノを模倣し自分なりのデザインに落とし込み提案する

 

 

 

 

 

ゾーニング1(コンテクストから考える)➡︎ 平面/断面

(1)敷地の条件(山、眺望、気候、方角)

(2)アプローチからの見え

 

 

ゾーニング2(空間構成から考える)➡︎ 3次元空間

(1)経験に基づく空間シークエンス

(2)領域の分化による見えの原理(空間によって変化する)

(3)人間➡︎建築形態(plan/section)➡︎作家性でない、ひとつの統合された言語である証明

     

   人間➡︎調度品、家具、窓、壁の配置

     

   人間➡︎デザインされるべきモノの決定

      ・ある様式の家具を置く

      ・見合う壁紙のデザイン

      ・フローリング(目地の間隔)

 

 

ゾーニング3(被覆の原則から考える)➡︎ 素材、色の選択

(1)ある空間を欲するとき、考えるのは躯体ではなく表面であること

自然に囲まれたい、何色がいい、華やか、コンクリが嫌 etc…

 

 

・自分の設計態度

造形原理の探求?