断捨離をしてお金がある状態の櫻井。
何に使うか考えたりもするわけですが、その中の候補のうちの一つにカメラという候補がある。
前々からカメラが欲しいと思ってはいたものの、そこまで本気でもなくiPhoneで満足というか外部に載せることが自分の心を満たしている傾向にあった。
でもこのお金の使い道を考えるときに何か基準が欲しいと思ったのだ。
そこで本当にお金を使っていいのかどうなのかの線引きだ。
自分は服に関しては長持ちする、モノとしての価値が高いモノを買ってきた。
つまり永続的に自分の心を満たすものを買ってきたわけである。
ロングスパンでの幸せを考えていたわけである。
確かにファッションを追い求めることは大事で流行や奇抜な格好というのもいいとは思うが大人になったり社会人になったときにそれ着るのか?
っていうことが自分の頭には根本としてあった。
つまり大人になって決まってるなぁあの人っていう人は大抵若い頃から同じようなものを身につけ自分のスタイルを確立していると考える。
「お前には100年早いよ」
この言葉の意味を本当にわかっている人は少ないのではないだろうか。
まあ実際に100年経つとさすがに死んでしまうが、リアルの話でいうと40年くらいだろうか。
大人になって上質なものを身につけても似合う人と似合わない人がいる。
それがさっき言ったスタイルの確立であると思う。
というわけで脱線したが、目の前の幸せではなく、遠くの幸せを目指したいと思っているのだ。
そしてその考えを写真に持ち込むと、みんなが持っているようなカメラで綺麗な写真を撮って満足するのは自分には違うのではないかと思えてきたわけだ。
好きな写真というのがまだはっきりしないが白黒は興味がある。
素晴らしい先輩に出会えたことで白黒の素敵さがなんとなくボヤァと見えてきた。
そして将来に残る写真というのはデータではないなと自分の中に落とし込んだというわけだ。つまりフィルムで残し、色があせるまで残し、歴史に刻んでいきたいというのが粋なのではないかと思うわけである。
そこでカメラが欲しいという関心、好奇心に大きな幸せという観点を入れ込むと機械式のカメラで写真を撮りたいという欲求に出会ったのである。
そのためには割と勉強が必要そうだ。
先輩のラインを読んでいてもわけのわからないことが多い。
あまりにも未知すぎて自分がかわいそうである。
時計にしても機械式の手巻きに憧れがあるわけだが、カメラも機械式、いいのではないだろうか。欲しい。
先輩に教えてもらった本を紹介しようと思う。
ロランバルトの「明るい部屋」だ。
https://www.amazon.co.jp/明るい部屋―写真についての覚書-ロラン-バルト/dp/4622049058
一度読んだだけだとなかなか理解しても理解しきれなかったのでこれは購入に価すると思う。今度買いに行こうと思う。
でも自分が被写体になったときに自分の内面がいかに落ちぶれているかが理解できた気がするのである。
写真に関して出ている本は芸術の中でも少なくどんどん読んでいきたいと思う。
何事も勉強だ。
俺は日本人。
勤勉さが売りの日本人だ。
ではでは。
ウジェーヌアジェの「日蝕」1912年
でお別れしたいと思う。