卒業設計1

余裕がなくてもこのブログを更新するべきなのかなと。

余計なことを書くのではなく、いかに無駄を省き、頭を整理できて、行動に移すことができるかが、この卒業までの一つの成長観点である。

と自分は感じているので、少しでも更新できるといいなと。

 

設計が進められないわけとは。

家具発信の設計手法が含まれている限り、家具の情報が必須なはずなのに、そこに関してやらずに来たのが今きてる。

しかしやらなかったといっても、それ以外のことは結構やってたので、基本の住宅のプランや基盤は揃えたつもりであるのだ。

さあ、この家具の情報を集めているうちに一人の参考になりそうな人物を見つけた。

チャールズ・マッキントッシュだ。

彼は建築と家具を一体の物として捉え、トータルコーディネートをしていた人物として自分では解釈している。

自分の近代の一つの流れとして、モリス、ロース、ライト、日本建築の介入があるのだが、そこに新たにマッキントッシュが加わった感じがある。

 

現に本の序章にライトと、マッキントッシュはパラレルに見るべきと記述があったのでやはり自分なりの分析はあながち間違っていないと思う。

 

なぜなら、近代とひとくくりにしても、収まりきらないデザイナーとしての秀でた完成があったと感じることが理由の一つである。

 

本物を追い求めて目が発達する過程を服飾において掴んだ僕にとって、建築の本物性みたいなところに足を踏み入れていってるのだろうかなどと思ったりする。

 

実務をしたことのない学部4年なんで、建築のけの字も知らない僕だが、見る目に関しては秀でた物を持っている自負がある。(女の子は除く。笑)

 

 

さて、家具についての勉強進度。

マッキントッシュという人物の存在、西洋と日本の家具に対する考えの違い、製作に関しての無知さなどが項目としてあげられる。

構法と様式が決まっていてそれを崩したり、利用したりして空間につなげていくことができるのが理想だがそんなことできるのか。

今は好きということだけにおいて家具というか調度品を選んできたが、それは経験による選択だった。しかしここに知識が追加されると、知識の利用という意味での選択方法が出てくる。

 

人間はその知識と経験を併せ持ってまた体験をしていくのだが、その頭の中の思考が、新たな物を見たり、すでに経験した物を見たりしたときに、その物に重なるのだ。つまり製作者側の意図を感じるであったり、その雰囲気にあっているだったり、それ以外にも、人間一人一人によってその物に対峙する仕方が違うのだ。

これは何をいっているんだ?笑

えーと。観念論かな?笑

あってる?

 

知識が増えるのはいいんだけど、つまりデザインリサーチが進んでいるってことなんだけど、理想も見えるんだけど。

提出するものを揃えないといけないのと、設計早くしたいのと。

バランスが難しい、。

 

これだっていうやつをどれだけ早く発見できるかなんだよな。

見つかり次第第二弾を記事にします。