記憶、忘却

昨日記事で書いたこと。

その場所であることを思い出したり、想起させることに意味がない。

みたいなニュアンスのことを書いた気がする。

意味がないというより、それをコンセプトとすることの意味は建築を建てる際に主になることは滅多にないのではないか。

というふうに言い換えた方がいいかもしれない。

 

墓という用途、墓地という場所がそれが存在しないときよりその場所を豊かにする可能性はあまりないのではないかと思うのである。

そもそもお墓の意味って。精神の魂と肉体の魂が別々に宿ることを目的としてるものであり、土に返すのは肉体の魂のみ。精神の魂は天に還る。

なんてことは宗教チックで無神教の僕には何もわかりません笑

 

まあ何にしても死者を大切にすることが生と死を考えるための場所を与えるのである。と自分は考える。

 

さて何が言いたいかというと、2011年のあの事件である。

同時多発テロの後の9/11メモリアルの慰霊碑に関しての感想をあるサイトで見つけたもので。

というのもNYの予習で建築を調べているとあるブログにいきついてね、サラッと感想が書いてあったわけよ。

 

「言葉を失った。なぜこのたった数年前の単純な事実を忘れていたのだろう。」

 

こうあった。

この記事を見てそういえばと思い、昨日自分が言葉にしたことと繋がるなと感じたのである。

 

滅多にないコンセプトがこの慰霊碑のコンセプトなのではないか!

おそらくこの場所の持つ意味はかなり巨大で、無関係の自分にはほとんど記憶にないが、死者の関係者やその当時アメリカにいた人は一生記憶の中にあるだろう。

この事件に関しては自分もないが、東日本大震災の記憶は明確に自分の頭に刻まれている。その当時中学を卒業し暇な時期である。友達と野球をして遊んでたらグラウンドと電柱が揺れ始めた。

海から離れないとと北に向かい、家族と安否を確認しあい、、

 

これが記憶である。

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自分が卒業設計で扱いたい目に見えないものを形にすること。

 

それにも繋がると思い、今回未熟ながら言語化してみた。

見ての通り稚拙な文章で読みにくいことをここでお詫びしたい。

 

まとめ。

建築設計におけるコンセプトを自分で設定する場合、死に関連することを扱うのは評価を受けにくいのではないか。なぜなら評価する側も設計した空間を想像しにくいからだ。他人の経験を超える事実を作り出すのはそうとう難しいのではないかと考えるのである。

 

むしろそこを狙うのはありかもね。

 

ではNY予習続けます。

今回は時間も短いので優先順位つけてガチで効率しか考えません。

無理なことをやります。

壁は壊します。

はやくいきたいですね。