英語そして本…

 

 

 

 

こんばんは。

ある結果が出ましたのでここに報告します。

 

とりあえず舞台には上がれそうです。

何がだよって話しですよね。

 

まあみんな就活している中僕は見ての通りしていないわけですよ。

机上の空論を並べている毎日ですからね笑

4年生にもなって就活していないとはなさけないやろうですよ本当。

 

情けないなんて誰にも言われたくないけどね。

院試受けるんです。僕。

そうです、巷で流行りの学歴ロンダリングです。

 

大学名は伏せておきますが、まあ限られてくるよね笑

 

院試には英語の試験もあってこれは外部のスコアで提出することも可能なんです。

TOEIC、TOEFLをつい最近受け終わりまして本日前者のスコアがネットで公開されました。

TOEICは3回目、TOEFLは2回目でした。

TOEFLのスコアは低すぎるので公開はやめておきますが、TOEICは1回目680、2回目615、今日でた最新の結果が780です。

 

なんとか700前半をクリアし(低いよね〜)

院試での英語はおそらく満点扱いになるのではないかという感じです。

ならなかったらどうしよ。

友達で900超えている人もいるのですが730以上が満点だとすると、良いとこ取りましたね〜自分笑

800はいきたかったんですがね、残念。

リスニング410、リーディング370という、リーディングあと数問あっていれば800に乗ったのに。やはりパート6よりパート7を先にやったほうがよかったですね、、

 

もう一つのTOEFLじゃないとスコア認定されないほうはまだ結果でてないけどたぶんダメなんで当日ITPのほうを受けることになるかと思います。

 

 

さて学科の試験は8/17と8/29。小論文の発表は9月あけ。

さあやることがバンバン重なってきます。

研究室の活動もほとんど参加せず、次の進路への勉強ばかりですがこれまた意外と役に立つのではないかと。歴史の勉強から環境、構法の勉強まで。

 

大学院に行ければやりたいことがとことんできるし、就職にも猶予期間ができるので楽しみです。このことについても書きたいなぁ。

 

 

 

話を変えまして。

英語のスコア低すぎだろと思う方のために。

負け犬の遠吠えをさせていただきます。笑

 

 

英語という母国語以外の語学の獲得をした人は尊敬するけど、物の見方や考え方、論理の構成、幅広い知識なら負けるつもりはありません。

いまyoutubeのCMでシリコンバレーのやつがやっていますが、やつらの言っていることは全然大したことないです。笑

別に英語圏に行かなくたってわかること、できることばかりです。

 

自分の友人にも一人留学して3年目になる人がいますが、彼は本を読みません。

留学すると日本語の本を読むことができないのは欠点ではないでしょうか。

僕がここでいう本は芥川賞をとったり、直木賞をとったような最近の本ではありません。

わざわざ英語を和訳したような文章がたくさんで読むのに時間のかかる物のことを言っています。

 

自分はあまり頭の回転が速くなく、頭弱いほうですが、本を読む意義というのはわかっているつもりです。

若い時に読む本はその人の人生を左右するともいえるのではないかと。

つまり、短期記憶より長期記憶のほうが自分は必要だと思います。

 

 

留学している彼は本を読まない意味としてこんなことを言います。

 

いくら本で物事を理解したつもりになっても、一回の体験には勝てなくね?

 

一理あると思います。

百聞は一見にしかず。

ですからね。

 

確かに僕も自分で体験することはとっても大切なことだと思います。

その人の文化資本になるわけですから。

しかし本というのは自分の知らない語彙がたくさん使われています。

しかも他の人の考えを知ることができるかもしれないのです。

良い本はそれが達成できると思っています。

ステレオタイプにならず、偏見を消して、正しい見方を教えてくれるのは本の魅力ではないでしょうか。実際に感想を書くとわかります。

自分の偏った見方が浮き彫りになります。

もちろんフィードバックをもらうことによってわかるわけですがね。

 

あともう一つ本に関して言うならば、ある一つのことを知りたいと思ったら同じような内容の本を5冊くらいさらっとでも読んだほうがいいです。

1冊を読み込む前にその行為をすることによって何がキーワードかがわかってきます。

どの本にも出てくるワードというのはその一つの事象を説明するのに重要であるからです。と僕は思っています。

 

 

最近、自分の論文のために『建築美論の歩み 』という本を読了しました。

ここでは古代から現代に至るまでの偉人の試行錯誤が僕でも理解できるように書いてあり、今まで自分の発言がどれだけ幼稚であったかを知りました。

 

無知の知って大事ですよ。

自分が知らないということを知る。

知ろうと思わなければそれで終わりですから。

 

ついでにこれに繋げて話すと、日本人は割と知っておこう精神が強いです。

というのも

例えば、他の会社の人と商談があってベトナム系のレストランに行くとしましょう。

まあどこでもいいです笑

 

たぶん日本人ならベトナム料理のこと全然知らないからちょっと調べておこう。とか、あの店の近辺の地理感覚ないから調べておこう。とか、相手の会社についてもうちょっと知っておこうとか。

 

でも外人さんたちはちょっと違います。

知るのはその場でいいんじゃない?

こんな感じです。

日本人は知らないことを恥だと思うからこのような事前行為に及ぶわけですね。

あ、外人が大学の授業の予習をするのは恥じるからではなくてしないと授業についていけず、単位がもらえないからです。笑

 

 

これは吉田健一さんの本で知ったことですので、体験はありません。

じゃあ机上の空論じゃねーかって。

はい、すいません笑

知ったかぶりってやつです笑

 

 

 

でもね!

その留学している友達がね、知らないのは知らないで、誰かに教えてもらって知ればそれでいいじゃん。

って言ったんですよ。

つながったーーー!!!!

と思いましたね。

 

はい。で何が言いたいかと言いますと。

本は読むべきです。

この世に本がある限り。

 

そう、今建築美論の歩みって本のURLを貼って気づいたんですがあの本中古で30000円するんですね笑

読んでよかった笑

30000円あればAPCのデニムも買えそうですね笑

 

 

というわけで今日もダラダラ適当に物を申していますが、この辺にしましょう。

もっと起承転結ある文章つくりを意識したほうがいいのでしょうかね〜

 

じゃあまた。

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ナイルの素敵な歌声をどうぞ。

 

 

立教大学おめでとう!

本を読む時間が長すぎる。もうむり。

コーヒーを手元に置いてもう一踏ん張り。の前に

 

立教大が59年ぶり優勝 長嶋さんの前で 全日本大学野球 | NHKニュース

 

立教大学優勝しましたね。

おめでとうございます!

今は野球に全く興味のかけらもないので特にかくことはありません笑

 

実は立教の応援団長。

熱い高校3年間を共に過ごしてきた我らがキャプテンなんです!

イケメンでシャイで部活後は少し汗臭い川合くん笑

懐かしいね。

 

高校でも主将で、今も団長やってて。

本当素敵。率先して前に立つことてなかなか難しいことだよね。

自分はいつも避ける道笑

優勝おめでとう!

 

www.rikkyo.ne.jp

 

ホームページがあったので貼っておきます。

イケメンをぜひ拝んでください。

 

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ジャズとコーヒーでとりあえず2時までは。

 

『陰翳礼讃』を読んだけど、ガチ感想ではない。

脳学をメジャーとしている知人に紹介されていた本。

建築学科なら読むべきだと言われておりました。

この受験前、論文書いているこの時に参考になることがあるのかと思いながらもとりあえず読んだ。

最後の解説に建築論の視点からの解説も付いていて是非読んでほしいとあったのでこれを見て教えてくれたのだろうと思うし、今建築家で活躍している人は一度は目に通す作品なのだろう。

やはり建築を専門としていない人の日常の捉え方は参考になる。

 

日本の陰の美学について、光に対する捉え方などが書かれていた。

もちろんこの本は建築だけではないが、初めのほうの美学の話は興味深い記述が多くあった。

 

日本人は暗いところに美を見出すというふうなことが書いてあったが、実際暗いところは日本人より西洋人のほうが好きなのではないか。

彼らのサングラスをかける習慣というのは彼らの目が強い光に対応しにくいから。

決してかっこつけではない。

かっこよくなってしまうのは否めないが。

目の細胞が弱いという言い方がベストでもないしベターでもないが、まあそのような感じにとってもらえればと思う。

 

日本人はそれに対してまあまあ光に強いほうだ。地理的にいっても赤道から少し離れたいるから光がそこまで強くないのかもしれないけど。

 

西洋の建築というのは組積造が起源にある。

風土的に建築はそこにある材料で作るのがもともとの成り立ちであったので、石が主流であった。

組積造は雰囲気があって耐久性に富むが日本の源流である木造と違い、窓、開口部が大きく取ることができない。

というのも石を重ねるので、構造上縦長にしか窓は作れないのだ。

まあこの縦長窓が風景を切り取る装置という捉え方をすると欧米人のコンポジションに対するセンスは知らぬ間に磨かれていくのだけれど。

 

日本の切り取りの装置は何かというと掛け軸に当たる。

というのは自分の解釈でなんとなくそんな気がする。

もともと夏を旨として作られていた民家はどれも断面的に開口部の位置や庇のやりくりをしていたはずだから。

 

 

話がかなりずれてしまったが、つまりは谷崎さんの解読格子がかかっていることは間違いないだろうし、暗いところに美を見出していた。というよりは、現実のものを認め、そこにどうにか美を見出そうと努力するのが日本人で、新たな美を追求し続けるのが西洋という解釈の方がしっくりくる気がする。

 

この論はアジアという括りでもダメだし、西洋という括りもいかがなものと思うが、日本と比較する意味で、ヨーロッパをまとめさしてもらった。

 

 

 

話は変わるが、古典絵画脱出を試みた画家にカンディンスキーというのがいたことをご存知だろうか。彼は絵画はこの世界において何かを模倣しているものではなく、類似された表象でもなく、ものとして「山」という現実のものと「絵画」というものは等価であるということをいった画家だ。彼の作品はひたすらに線や幾何学模様である円や四角が書いてあるがその線たちは何かを模倣したり、象徴化、抽象化したものではなくただ線なのだみたいなことを主張した。

 

実際にはそれは彼の経験から来ているはずだから思考を働かせた時点で類似になってしまっているのだが。

 

ところでどこにこの話がいくかというと

このような論の展開はプラトンのやつに似ているなと。

 

彼はイデアがこの世の最高のものであり、次にあらゆる自然が位置する。つまり山や紙やベッドなどの物がくる。これらはイデアの模倣である。その次にそれを類似させた、模倣した絵画というものは3次的なものであり、この世の中のヒエラルキー順に考えると低い次元のものである。みたいなことをいった。実際この論はプラトンの偏見も随分入っているがカンディンスキーの言わんとしていることと相反しているなと感じたのだ。

 

この模倣の行為は人間の魂に眠っていたものだし、ずっと昔からやられてきたことだから模倣か模倣じゃないか話は難しい。鶏が先か卵が先かみたいな話になってしまう。

 

 

まだ自分の浅はかな知見で文章を作っているので知識不足や本質を把捉できてはいないがこれからの論文のために、そして大学院中に本を出すという目標のためにとりあえず考えたことはここに残していこうと思う。

 

ガチ感想は少々お待ち下さい。