卒業設計2

あと一ヶ月後に提出が迫った卒計の今日のレジュメ。

■タイトル『LIFE with PATINA for antique enthusiasts 調度品に見合う建築とは』

 

以下候補

・調度品と共にある建築

・調度品のオブジェクト化

・調度品の移動する断片を描く

・調度品に見合う住宅とは

・調度品と過ごす生活

 

 

■設計手法

家具の分類は大きく分けて3つ

①人体系家具:椅子、ベッド(人尺度)

②セミ人体系家具:机、テーブル、台類(物尺度、人尺度)

③収納系家具:箪笥など(物尺度)

 

この3つに分けて設計する。

①人が介入する段階が早いので視線等、しかし調度品ならではになるはず。

今のところ、椅子の本来の使い方や意味、時代背景を解釈した上で、座るという機能のみを求める、、

②平面形は物尺度であるので床という部分に影響を与える。楕円形の模倣。

未だ高さ(壁、窓、屋根)方向のスタディなし。

③形の模倣。その家具の読み替え、読み取り。

 

これを1つにまとめられるdiagramとして

調度品/人/自然/建築

という4つのワードに集約できるかも。

 

調度品:持ち込み調度、壁紙、絨毯、カーテン、造り付け家具

人  :行為、動き、動線、視線

自然 :敷地、環境(光、空気)、眺望、方角

建築 :建具(窓、扉、間仕切り機能をもつもの、壁)、構造(壁、屋根、天井、床、梁、柱など)

 

全てが関連していることを示す。

 

➡︎能作淳平さんのパースペクティブ

オブジェクト(特にアンティークを選んでいるという点において)は解釈をした上で、機能を剥奪し、物の欲求を思考する。もしくは、機能をしっかり理解した上で、完全に機能を読み替える。(ex: 寝室で使われていた何かがトイレで使われていたり)。

オブジェクト主体(僕の場合は調度品のヒエラルキーが高いという点)で考える場合、人を抜きにして物を自立させて、再解釈されるべきである。

 

 

 

 

 

 

 

 

■自分のパースペクティブ

オブジェクト論を踏まえて設計できればいいけど、示したいこととしては2つの時間軸(個人による主観的な固有の時間、通時的に見た客観的な時間)を踏まえた上で、今の社会に、都市に建築とは本来何のためのものかを訴えることに重きをおいているので、若干無視をして、オブジェクト論の話にならないように持って行く。

 

施主が個人的に蒐集したモノに対して価値観の一致が櫻井と起きたところからこの設計は始まる。

 

つまり社会的地位、有名無名に関わらず人間同士というところで施主と建築家がいる。

 

この蒐集されたモノへのパースペクティブは決して誰とも共有可能ではなくある程度目が肥えていないと共有不可能であるためタイトルに「熱烈な支持者のための」といれた。白洲さんを選んだ理由としてモノに対する価値観が近いものを自分が感じたからである。

 

自分のその価値観は以下の経験と知識によって育成中のものである。

 

骨董屋のおじいちゃん、おばあちゃんとの会話、そこの商品に対する売り方の態度(モノを知らずして買って欲しくない)つまりこれはポスト構造主義者のボードリヤールのいうシミュラークルに対する批判の態度であり本来のモノへの考え方。自分はここに共感していて、モノの背景を知ってこそ使っていくうちにその人との固有の時間が生まれ、次の世代に受け継がれていく。

 

2015年に町田にできたイギリス系のヴィンテージを扱っているお店を引き当て通い始めた後、服業界での認知が上がっていった。(雑誌popeye、2ndなど)。cc41という軍事規制のかかったモノたちは未だ綺麗な状態で商品として出回っている。

 

p鎌倉の帽子屋さんのおじいちゃんとの会話。僕をお店に入れるとドアを閉め、僕だけのための接客をする(多少頑固なイギリスに感化された偏った考えにも思えるが)。007でも使用された超一級品のツイードを見て触ったり。今のダウンに詰められている綿には何の価値もないことを聞いたり。ウールのコートの袖口が4重にも縫われていたり。

 

価値もわからず売っているブックオフのような場所で記号的かつ機能的なモノを見極められること。

 

イギリスの古着屋に4時間居座り全商品をくまなく探し、自分の体型にあった、値段と兼ねて考え、70年代のウールのスーツを買ったり。それだけ居座るとモノに対して目を持っていると店主に判断され値引きも簡単にしてもらえる。

 

このような視座を得るために必要なことはとにかく動き、探し、低姿勢で話を聞くこと。

 

このような経験でモノへの視座が出来てきた。

 

この感性は服を飛び越え、今調度と呼ばれるモノに。まだ勉強中でわからないことだらけである。

 

これを建築においても見極めることのできる目が欲しいところである。(素材についての勉強から使い方、手入れの仕方など)。現在の建築論に入りきらない感性を養っていきたいというのが自分の態度である。