思考の整理

先日、自分の思考していることを話す機会に恵まれた。そこで思わぬ事件が起きたのだ。自分でも整理がついてないまま話を進めていることに。内容は建築を中心とした話なのだが、もちろん哲学的なことも含まれているのだ。何かが足りていないのはこれからもずっとそうだが、現時点での考えていることは一度まとめておくべきだったなと今になって思う。今回卒業するためには卒業制作という論文に代わるものを提出しなければならない。3年生の頃から真面目に建築に向き合うようになってから、より自分の生き方的なところに影響を与える思考に変わりつつある。つまりこの卒業制作からすでにこれからの建築人生で考え続けるであろう大きな壁と戦い始めているのだ。ということに「僕の建築ノート」というダサい保存名でデスクトップに居座るやつを書き始めてから思い始めた。とても卒業制作に収まるようなことではない。建築教育を否定するわけでもなく、建築が嫌いなわけでも全くない。むしろ好きだからここまで思考しようと思えるし、一生付き合っていきたい。今この文章は誰かに読んでほしいとかではない。かなり衒学的だし、適当であるし。正直周りの建築思考とは全く違うのが興味深い。これは優越感でもあるが。表現物が出せないと負けなのだが。しかし全くもって負ける気はしないし負けたくない。建築がどのくらい好きかで勝負したら負けない自信がある。とにかく「好き」にはレベルがあることはわかってほしい。単純に好きだから話が合うとかで収まる話ではない。

 

この整理のつかない話を聞いてくれた先輩が一人いる。その日始めてあって話した院生だ。彼の発言には惹かれる部分もあるが、なんせ全てを受け入れるタイプではない自分は馬鹿にしているところも何箇所が出てくるのである。知識量は正直意味のないことといっても過言ではない。常に知識と経験の両面を持ち合わせないといかん。その人は知識に満足している口調だし、実際表現物は大したことができないタイプの人間だろう。そこが本人が理解していることなのかは知ったこっちゃない。

 

ただ自分は客観的に物事を見るのが得意なので(まだまだ上を目指したいが)自分に何を取り入れて排除するかは判断しているのだ。

 

こんな文章を書いている暇があれば、作業に取り組めという話なのだが将来見ることができるように少しくらい残させてほしい。