sakush0’s blog

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黒いスーツを着た男(映画感想)

レポートです。

コピペで映画感想として載っけておきます。

 

 

 

原題『Trois mondes』邦題『黒いスーツを着た男』

 

まず注目すべきは原題と邦題の意味の違いだろうか。原題の直訳は『3つの世界』、邦題は『黒いスーツを着た男』。「3つ」と言われると俯瞰して3つの対象を眺めるし、ある種平等に事物を見るようになると思う。映画を見る際にはタイトルが先にきて、実際に映画をみるという順序がある。明らかに3つに支配されるはずだ。この映像作品の中で何が3つなのか。この映画の場合、事故を起こした主人公アル、アルの同僚、婚約者が一つ目、二つ目は事故を傍観していたジュリエット、割合は少ないが彼氏の教授、ルームメイト。最後の一つが事故で死んでしまった男の親族のモルドヴァ人らの移民たち。このような見方ができる。

しかし『黒いスーツを着た男』を先に知っているとその男の特定から始まり、その男アルに関する動向を中心としてそれに関係する人物たちとして、事故を被ったモルドヴァ人、傍観してしまったジュリエットら、という風にヒエラルキーをこちら側は見てしまうのではないかと思う。

今回は先生があらかじめ原題を教えてくれていたので、平等に、フラットな関係で人物たちをみることができた。と言いたいのだが、どうしても事故を起こしたアルがよく見えてしまい、モルドヴァ人たちが悪く見えてきてしまうのは作者の意図なのだろうか。人選としてもアルはイケメン俳優。役中でもつるんでいる二人はかなり明らかに脇役と受け取れる様相。一人は太った営業、もう一人はアラブ系(実の父親アルジェリア出身)のフランス出身の作業員である。容姿の良い女の子があまり外見を気にしない子を連れて歩くみたいなありきたりの構図だ。モルドヴァ人と対比した場合、事故後病院に通う彼らの顔つきやジュリエットに対する接し方からしてもよくは写っていない。仲介人の難しさのせいで嘘をつくことになってしまったジュリエットが真実を述べて態度を一変した彼らの態度からそのことはよく分かる。

 

次に彼らの生活を細かく見ていきたいと思う。

3つをそれぞれ加害者、被害者、傍観者とする。

加害者たちはパリから15kmくらいのところ、パレゾーに住んでいて(郊外で良いのでしょうか)、自動車会社で働いている。アルは将来を約束された地位まできて、結婚を目の前に控える。ストリートビューで見る限りこの地域は緑地もしっかり整備されているし、住環境も良い雰囲気である。お金は比較的余裕であるだろう。しっかりと黒いスーツをきていることもその証拠であろう。ネクタイも締めていた。順風満帆の生活をしていたが事故のせいで狂ってしまう。その事故がパリで起こってしまうこともポイントだがジュリエットのところで言及したい。彼の移動シーンが線ではなく点で描かれている気がして(車の中で叫んだり、シャワーを浴びていたり)、流れがあるよりは彼が思考を巡らしているシーンに『罪と罰』のラスコーリニコフが重なってしまった。アルは決して偏執狂ではないと思うが。(しっかりとお金を払うし、葬式には普段のYシャツではなく黒いシャツだったし)

彼の母親にも言及しないといけない。母親はアルの働く自動車会社の社長の家の家政婦として働き服は奥さんのお下がりをもらうという次第。その息子が会社で自分のデスクを持っている様子からだと彼の頑張りの主張は本当で、仕事と一生懸命向き合って自分の地位を獲得したのだろう。しかもその成長が映像として描かれているときもあって最後の方で掃除のおばさんを上から眺めているシーンがそれに当たる。そこには空間的なヒエラルキーも描かれていて1階におばさん、2階にアルといった構造だ。

 

 

 

被害者たちは68 Rue Myrhaという18区のシャトールージュ駅の近くでまさに移民街という印象の街だ。

ストリートビューでも黒人が多く見られ、衛生的に環境はよくはなさそうだ。

ヴェラが臓器提供のシーンでお金をもらおうとしたり、アルのお金もジュリエットに怒りながらももらったり、贅沢に死人に使ったりしていることからお金がないことは確実である。モルドヴァからの移民という風に作中で本人たちが発言していて、ヴェラは母親のことが彼女の人生の背景にあるようで金銭的には苦しいままだけどモルドヴァから出ることで自分の母親との差別化を思っていたのではないか。死んだ夫は不法就労で彼の職場はラデファンスという場所でパリから西に少し行ったところだ。今は現代建築が多く建っており、ガラスカーテンウォールが主流の現代都市であることがストリートビューで分かる。しかもそこはアスベストが充満していていい職場とはいえない。これが現実を反映していることは間違いない。移民を受け入れながらも決していい対応はしない。フランスという国の実情が垣間見れたシーンかもしれない。その不法就労のせいもあって病院からお金は出ないし、苦しい生活を送っているようだ。それに家から職場の距離を考えると列車も地下鉄、バスと乗り継いでいかないといけないのではないだろうか。ここで気になるのが、男性二人。彼らはどのように生計を立てているのだろうか。最後アルを暴力で復讐しようとしたところを見ると知的解決をしようとはしない人たちであることが分かる。フランス人への嫉妬、富裕層への怒りを象徴したようなシーンに見えた。

 

 

 

傍観者のジュリエットは大学に通い、安い宿で生活をしながら医者を目指す学生だ。フランス人でフランス育ちということを踏まえると家系自体はお金に余裕があり、アルバイトなどしているシーンもなかったから親に支えてもらっているのだろう。彼女の住んでいるロミエール街自体は19区に属している。なのに近くに医学の学校はない。では彼女が通っている大学はどこなのであろうか。大学で検索するとパリ第6大学(ピエール・エ・マリー・キュリー大学)と推測する。一番近い医学を扱っている大学がここくらいだからだ。もし本当にここならセーヌ川を渡らなければならないくらいなので一人暮らしにしては少し遠い距離感かもしれない。やはり地価、家賃が安いことが決め手となっているのだろう。19区にはファッションの大学もあり、治安は決して悪くない場所ではないか。それも女性がここに住む理由の一つなのだと思う。この区には大きな公園も幾つかあり、安全そうなのは間違いない。

しかしこの事故現場から搬送された病院までは決して近くはない。事故が起きた時間が時間だけに救急で受け付ける病院が少ないのが実情だろう。おそらく幹線道路を西に進むと時間としてはそこまでかからなそうだ。このジュリエットは仲介役としての役回りだが女性であることは大事なポイントである。

異性であるがためのアルの精神的支柱であり、同性であるための被害者の女性のヴェラの精神的支柱でもあった。事故に対する責任感と良心が女性ならではだと感じた。これは彼女の彼氏である教授のセリフで介入しすぎというようなものがあったことが裏付けとなっている。

 

要するにこの3つの世界を俯瞰するとパリの移民、学生の暮らしぶり、仕事に生きるフランス人という見方ができるということではないか。この共存がパリの中にいると実は見えなくなってしまうのではないだろうか。そこを監督は丁寧に伏線にすることでいろいろな視点からの評価をもらえたのではないか。(実際の評価についてはしりません。)地理的環境は何度か見ないとはっきりしたことを掴み取るのは難しいが、フランスのリアルを一つの事故を通して主張している作品となっていると感じた。この映画では3つの世界しかないがもっと多様に様々な人の世界観が存在していることが見られた。世界観の成り立ちは違いどもバックグラウンドはアルとヴェラのように母親の存在が相似していたりする。

 

この映画の主題として「善悪」、「罪と罰」の問題は欠かせないことだとは思うが、教授の哲学の授業のシーンが自分的にはミソかなと思っている。「死」について語ることはあの事故と重なっている。結局人間は自分が一番で、いくら他人に力を注ごうとしても、良かれと思ってやったことでもなかなか叶わないのが人生。みたいなことを言いたかったのかなと思う。この映画内で確実に善悪をつけるとしたらアル以外みんな善人だ。決してアルは悪くないみたいな見方に持って行こうとする監督の意図は明確だが、悪いのは彼だけだ。(車を運転していたのは彼のみ)ジュリエットもすぐに警察、救急車を呼んだし、殺されたら怒りを感じるのは誰でもそうだからモルドヴァ人も悪くはない。悪人であるアルをよく描く理由としてラファエルペルソナというイケメン俳優の台頭という映画内容以外の策もあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

とまあこんな自分でもよくわからないまとまりのない文章ですが笑

 

今日の曲はというか最近ずっと聞いているやつ。

 

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